じゃあ、また一服後~松野おそ松編~
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「ハッピーエンドというには不幸だけど、バッドエンドというには幸せ過ぎる」 松野おそ松は、もう随分と前から弟のチョロ松と体の関係にあった。けれど、互いに愛の言葉を紡いだことはない。それでも、おそ松は、チョロ松も自分のことが好きなことを知っていた。そのうえで、おそ松は、常識人を自称するチョロ松に、「好きだ」と言って、自分の側へ飛び込んできて欲しい、と願っていた。 夏以降、チョロ松が今までないくらい積極的におそ松を誘うようになる。「言い訳」を与えられなけえば動かなかった過去のチョロ松からは、信じられない様な変化におそ松は、「ようやく俺のこと好きだって言ってくれるのかも」期待に胸を膨らませた。しかし、二人で行った熱海旅行の際、おそ松は、チョロ松が隠れて薬を飲んでいるのを見てしまって…。 「一生に一度しか使えない、会いたい人に会える魔法の煙草」を巡る、おそ松とチョロ松のボタンを掛け違えたまま進み辿り着く人生の終わりと恋の行方は…。 A5 108頁
ラブホって、なんでこう来るだけでドキドキすんだろ。もう数えきれないくらい来てるのに、この紫色のカーテンとか、糊が利きすぎて、冷たくてかたいシーツにテラッテラしたカバーのついた布団とか。ふかふかでもないけど、うちの男六人が毎日せっせと平たくしている布団よりは、遥かに寝心地がいい。それにベッドは、布団と違って、深く沈みこんでくれるから、身体を暴く側の俺としては丁度いい。 ばふん 勢いよくベッドの上に座れば、緩んだベッドのスプリングがギイッっと苦し気に鳴く。まあ、古いホテルだし仕方ないか。その分俺たち向きにお安いし。 「ああー、生き返るー。」 通風孔の下に陣取り、冷たい風を一身に受ければ、自然とそう言っていた。夜とはいえ、八月の頭だ。外は暑くて仕方ない。最寄り駅までは電車で来たとはいえ、ここのところ熱帯夜が続いる。十五分も歩けばじっとりとした嫌な汗で服が体に張り付いてしまう程だ。 「おそ松、お前先シャワー浴びるだろ?」 備え付けのタオルじゃなくて自分のハンカチで額を拭うチョロ松が俺の前に立ち、そう訊ねた。リュックの紐が当たっていた部分だけ、Tシャツの色が変わっていてなんだか色っぽい。クーラーの風で髪についていた汗が、こめかみをつたい首に流れ落ち、最終的に鎖骨のくぼみに溜まった。どこもかしこも、確かに男の身体だけども、喉仏に目を瞑れば、チョロ松の鎖骨は、下手なAV女優より綺麗だ。 「うわっ!」 チョロ松の手を思い切り引いて、態勢を崩す。運動神経の良いコイツが、トントンと二回片足で跳ね、バランスを保とうとしたところを、もう一度、くいっと軽く引く。すると、チョロ松は自分の意思とは無関係に、崩れ落ち、俺に跪くような形になった。 「いきなり何すんだよ!」 おいおい、なんでここでそんな切れ気味説教モードなんだよ。ここは、「咥える?」が正解だろ。と、言ってやろうかと思ったけど、やめた。ここでぎゃあぎゃあと言い合っちゃ、いつまで経ってもここに来た目的に辿り着けない。 「ひっ…なんだよ…、やめろって。シャワー浴びてくるから。」 チョロ松の制止も聞かず、俺は汗が溜まった鎖骨のくぼみを舐める。肉をしゃぶる様に丹念に舌を這わせれば、くすぐったいのか感じているのか、チョロ松が僅かに身をよじらせる。手を掴んでいるだけで、いつでも逃げられる状態。それでもチョロ松は逃げない、拒まない。どんな形であれ、この小うるさい口を塞ぐことが出来れば、あとはチョロいもんだ。 「シャワーとかいいだろ、後で。せっかく、準備してきてくれてんだし?な?チョロ松ぅ。」 甘く鎖骨をかじって、チョロ松の瞳を覗き込む。俺を睨むチョロ松の目には怒りの色がありありと浮かんでいる。そうだよね、お前シャワー浴びないでするの嫌いだもんね。こんだけクーラーが利いてたって、ヤってりゃすぐ汗だくになんだから、一緒だと思うけど。 チョロ松の黒目に映る俺を見れば、その奥に情欲の火がゆらゆらと風に吹かれるように小さくなったり大きなったりと慌ただしく揺らいでいる。チョロ松はへの字口をきゅっと結んだまま、俺を見つめる。 「言い訳を下さい。」 って、顔に書いてあるよ~チョロ松。多分それは、もっと前、少なくてもホテルに入る前に貰わなきゃいけないものだ、とは思わないんだろうか。多分、世間っていうより自分への言い訳なんだろうな。ここで俺が何も言わずにこいつを抱いたらどうなるんだろうか。流石に拒まれるのかな? 「おい…。」 俺の「待て」が長すぎたのか、元々気が短いチョロ松が、苛立ちと少しの不安が入り混じったような声で俺の膝に手を置く。つうっ、四本の指が僅かに動き、俺のズボンを掴んだ。ほとんど力の入っていないそれは、縋っているでも、甘えているでもない。単なる隷従の印だ。「嫌なら振りほどいてください、お気に召すなら、御慈悲を下さい。」ってところだろう。 「はぁー。」 思わずため息が漏れる。その重く長い落胆に、ぴくりとチョロ松の指が震えた。 俺はさ、恋人って与え合う存在だと思ってるんだよね。こんなこと人には絶対話さないけど。見返りを求めない家族愛とは、そこで線引きしてる。例えば、あいつらがなんかすんごいピンチに遭ったとき、あいつらに何かしてやっても、俺はきっと見返りは求めない。あ、普段の生活は違うよ?ホントに、もう切るか切られるかーみたいな時の話、もしもの話。けど、きっとチョロ松には、見返りを求めちゃうもんな。俺がピンチのときは助けてほしいとか、俺に感謝してほしいとかさ。けど、この状況は、そんな俺の理想からは、かなり離れてる。 ただ…、僅かに主張を始めたチョロ松の息子とすっかり臨戦態勢の俺の息子の事を考えれば、今日も俺が欲しいものはもらえないってことで諦めて、こんなぐちゃぐちゃした考えは、ゴムの袋と一緒にゴミ箱に投げ捨てるのがいいんだろう。俺がお前の息子思いでよかったね、チョロ松! 「チョロ松…なぁ、いいだろ?お願い。」 いつものように俺がそう懇願すれば、チョロ松は、 「…仕方ねぇな。」 と吐き捨て、俺の隣に腰かける。ああ、ああ、まったく、言葉の前に安心したように小さく吐かれた息が俺に聞かれていないとでも思ってんのかね、こいつは。 「…チョロ松、口開けて。」 低く耳元に囁き、遠慮がちに開けられた口に舌を差し込む。歯茎の内側を舐め、舌を吸ってやれば、お返しとばかりに、舌の裏を刺激される。俺よりも一回り細い体躯を抱きしめ、徐々に体重をかけていけば、さっきまでの行動とはうって変わって、チョロ松は素直にベッドに沈んだ。据え膳食わぬは男の恥というけどさ、このポンコツは、俺が欲しいものは絶対にその膳の上には乗せてくれない。だから今日も俺は、せめて出されたものだけは一粒も残さないように平らげてやろうと必死にむしゃぶりつくんだ。 「おそ松、お前さっきから何考えてんだよ。うだうだしてねぇで、ヤるなら早くシろよ。」 ――ここに来てから、お前の事しか考えてねぇよ。 免罪符が出た途端にこれだから、本当にこいつはもう…、常識人が聞いて呆れる。ただ、それでも、俺と俺の息子は、目の前に並べられたごちそうを目の前にして我慢が出来るほど出来たやつじゃない。 「なんだよ、急にヤる気じゃん。」 と、性欲に身を任せ、余裕なく笑ってやれば、チョロ松は、ふんっと鼻を鳴らす。いや、顔赤いからさ、あんま隠せてないよ?お前、ほんと気持ちイイの好きね。なんて、口にしたら最期、この状態からでもこのシコ松は帰りかねない。 ――あーあ、俺って健気だなぁ。 今日も俺は、盛大な待てをされたまま、チョロ松に跨り、自分のベルトを外した。 ***************************************************************************************** 「あっちぃ…。」 「何度目だよ。わざわざ口に出すなよな。」 暑さでぐったりしているくせに、文句だけはいつも以上だ。カラン、と氷が弾ける音に誘われ、お盆に乗せられたグラスに手を伸ばす。氷まで一気に口に入れれれば、氷が喉をなぞり、体温が下がるのが分かる。 「麦茶うめぇ!あ、空になっちった。」 空のグラスを望遠鏡の様にしてチョロ松を見れば、明らかに不機嫌そうな顔をしていた。 「自分で汲みにいけよ?」 まだ何も言ってないのに、俺の言いたいことが分かるなんて、さすがチョロ松。 「まだ何も言ってないじゃん!いいよーだ、お前の飲むから。」 まだ半分以上残っているチョロ松のグラスを空にしてやれば、チョロ松はめんどくさそうに息を吐いた。 「麦茶うめぇ!」 「そうかよ…。僕の分も責任もって汲んで来いよな。」 なんでこいつは、俺が構ってほしいって思ってることを知りながらこうも邪険に出来るんだろうか。お兄ちゃんが可愛くないのかよぉ。 「……。」 頬杖をつき、ぶすくれた顔でチョロ松を見つめれば、チョロ松も相当不細工な顔で俺を見る。よっぽど暑さに苛立ってんだな。それともいつもより酷い夏バテで体がだるいのか。最近ロクに飯も食ってないみたいだし。結構な間見つめう、いや、睨み合う?不良学生がメンチを切る様に、眉間に皺を寄せる。 「チョロまつぅ、お腹へんない?」 あっけらかんと降伏宣言し、俺はチョロ松に笑いかけた。 「母さんいないから、昼飯作らなきゃだよ。僕食べないから、自分でなんとかしてよね。」 「はぁ?お前また昼飯抜く気かよ。最近食わなすぎじゃね?」 他の兄弟よりも骨ばった肩にぐりぐりと頭を摺り寄せる。こんだけ暑いんだから当然なんだけど、なんだかチョロ松の身体が熱くて、汗をかいていることになんでだか安心する。目を閉じれば、チョロ松の熱でふわりと洗剤と煙草の香りが強まる。 「うわっ!なんだよ。」 特に意味もなく、ぐわしとチョロ松の脇腹を掴む。くすぐったがりのこいつはぐねぐねと体を捩らせ、ふふふふははっ、と唇を嚙みながら笑いを零す。 「やっぱ痩せてるし。…毎年夏バテしてるよなぁ。」 チョロ松の目尻に涙が溜まって、一筋零れる。これ以上やると殴られかねない。ぱっと手を離すと、まだなんとか怒りのバロメーターが振り切ってなかったみたいで、ちっ、と舌打ち一つで片づけた。 「うーん、……そうかな?最近体重計乗ってないから分かんない。」 首を傾げるチョロ松は、本当に自分の変化を認識していないみたいだ。どこまでも自分に無頓着な奴。 「いや、ぜっっったい痩せた。てかさ、チョロ松より俺のがお前の身体の事分かってっから。」 「はぁ?なんっだそれ。」 感じた怒りが滲まない様に、わざとおどける。なんだそれ、なんて言いながら、チョロ松は、微妙な表情で固まっている。きっと、あれ?そうかも、なんて思ってるんだな。あーあ、ずるいよな。 立ち上がり。チョロ松がさっきから手を離そうとしない本を取り上げ、放り捨てる。 「あぁ?何すんだよ。」 流石にうざったくなったんだろう、チョロ松が顔を上げて俺を睨む。そして、俺の足を殴ろうと腕を上げた。まったく、なんでこいつはこう暴力的なのかねぇ。俺は、浮いたチョロ松の腕を掴み、無理やり引く。腰が浮くのを見逃さず、無理やり立たせる。 「しょーがねぇーなぁ。お兄ちゃんが素麺作ってやるから、二人で食おうぜ。」 にっ、と笑ってチョロ松を誘う。食欲がないつっても素麺くらいは喰えるだろう。夏は、がつんとした物を食べる派の俺としては物足りない昼飯だけど、どーせ別メニューにすれば、片付けが面倒だとか、誰が作るんだとか文句ばかり言って、結局食わないんだから。 「ったく、しょうがないな。あ、ネギは僕が切るからね。お前やると全部繋がってるし、分厚いし。」 ぐちぐちちと文句を言いながら俺と部屋を出て階段を下りるチョロ松。ふうっ、と肩の力を抜くように息を吐く。階段の一段下を行くチョロ松のうなじが見える。 トン トン トン リズミカルに刻まれる足で木を打つ音に連れられてふわりと、チョロ松のTシャツが膨らんだ。そこから見える背中に、なぜだか、本当になぜだか分かんないけど、恐怖を感じた。 暑い、暑い、暑い。なんか子供の頃よりも夏が暑くなった気がする。背が伸びて太陽に近づいたから?いやー、たかが五十センチ前後だよ?そんな変わんなくない? 昔は駆け上がった坂を、這うように進む。アスファルトの照り返しでじりじりと顔が焼ける。上からも下からも責められるなんて…俺一松と違ってMじゃないんだけど。とか、なんとか、そんなこと言ってても仕方ない。何度目か分からない溜息をついて、も食い敵地へと向かった。 汗だくになりながら手に入れた物を、空に向かって放り投げる。空色の液体が瓶の中できらきらと反射し空に混じる。瓶の中にビー玉でも入れれば、うっかり誰かが飲んでしまいそうだ。ビー玉を止めるくびれがないから、十四松あたりはビー玉ごと飲んでしまいそうで、ちょっと怖い。 「風邪薬って書いてくれてるあたり、流石デカパンだよな。」 この液体の正体は、単なる滋養強壮剤だ。夏バテ回復薬として、俺がデカパンにお願いして作ってもらった。口うるさくて意地っ張りで、実は面倒臭がりなアイツは、薬を飲み続けるってことが得意じゃない。「いや、もう治ったし、飲まなくていいでしょ。」とか、言って処方されたものをいつも残してしまう。だから、無理やりにでも飲ませよう、ってことでこの薬だ。無味無臭だから、チョロ松のお茶とかに混ぜても分からない。こうでもしないと、きっとあいつは夏中あんな感じだ。最近、十月にならないと涼しくならないし、あのままだと骨と皮だけになりそうで、お兄ちゃん心配。別に毎年こんなことしてるわけじゃない。ただ、どーしてだか、今年はいつもよりざわざわする。 「ま、こんなに綺麗な薬なら、きっとあいつも治るだろう。」 再来週の夏祭りに間に合ったら、屋台を巡るのもいいな。ビールに焼き鳥、お好み焼きにトウモロコシ。花火を見ながら食ったらうまいだろうなぁ。へへっと笑いを零しながら、もう一度薬の瓶を空に放り投げる。空色の薬が瓶の中でくるりと弧を描いて、太陽光を含む。僅かに夏色を増したそれは、きらりと希望色に輝いた。 やっぱり俺は、松野家の長男でカリスマレジェンドで、人間国宝だ。毎日食後のお茶の準備を俺がしたことはかなり兄弟達を怯えさせていたけどな。毎日デカパン薬を飲んだおかげで、チョロ松は随分と元気になった。昨日は冷やし中華、今日は天ざる食ってたし。流石にまだ酒は飲んでないけど、きっとこの瓶の薬が無くなる頃には、またべろんべろんに酔っぱらったところを見せてくれるだろう。 「なあなあ、、チョロ松~、パチンコ行かない?お馬さんは?」 「今日は無理。用事ある。」 テレビから目を放さないチョロ松は、いつもの断り文句をコピペした言葉で、俺の誘いはあっさりと跳ね除けられた。 「…お前の好きな女子アナが出てるときに話しかけたのは悪かったけどさ、もう少し申し訳なさそうにしてもよくない?」 「あー、確かにこの黄色のカーデガン似合ってないよね。先週の紺と白のボーダーのが良かったな。そもそも、知性派なんだからさぁ…」 全く俺の話を聞く気がないって言うよりは、それどこじゃないんだろう。テレビには黄色のカーデガンを着た女の子。おっぱいもおけつもそこそこ、っていうか物足りない。誰かを思わせる肉付きの悪い細い脚、特に骨ばった膝は…まあ、悪くないけど。 「うん、もういいや。お兄ちゃん、出掛けてくるわ…。」 テレビから目を放さないチョロ松を背に、俺は涼しい涼しいパチンコへと向かった。しっかし、今日はやけに冷たいっていうか、心ここにあらずっていうか。また、なんか変な事気にしてんのかねぇ。 すっかり冷えてしまった体に、夏の熱気が心地いい。開店から陽が暮れる頃まで打ってられて、懐もこんなにあったかい日なんていつぶりだろう。この金どうしようかなー。なんか旨いもんでも食って帰る?それとも明日のお馬さん代?すぐに使わないなら、あいつらに土産買っていって、パチンコ警察の行動開始を止めないとなぁ。うーん、アイスでいいか。一人六十円くらいのやつ。 そうと決まればコンビニを探すか。きょろきょろとあたりを見回せば、大通りを挟んだ向こう側の歩道は、モノクロの人波でごったがえしている。帰宅ラッシュの時間ということもあり、駅からはベルトコンベアーに乗せられたように人が吐き出されている。ほんとえらいよなぁ、毎日毎日さ。別の世界の住人を見るみたいに、ぼんやりと白黒のサラリーマンの群れを眺めていると、その白黒の葬列に逆走するよく見た緑色を見つけた。何をそんなに急いでるんだってくらい全力で走るチョロ松は、いつもの綺麗なフォームも、調整された息遣いもなく、我武者羅に、というよりは投げやりに、走っている。随分長いこと走っていたのかもしれない。かなり足にがたが来ているみたいで、時折、身体を支えきれずに、ふらりと体制を崩している。 「…大丈夫か、あいつ。」 丁度歩行者用信号が青になった。走り出したけど、やっぱり間に合わなかった。俺が反対側の歩道に辿り着いたところで、チョロ松は派手にスッ転ぶ。あちゃー、ありゃ痛いぞ…。駆け寄ってやったら、絶対あいつは、あんな風に走っていたわけも、何も言うことなく、照れ隠しに俺に切れ、全部をうやむやにする。俺は街灯一本分チョロ松から離れたところで足止め、ゆっくりと歩み寄る。 「え?チョロ松?何してんのお前。」 随分と長い時間、倒れ込んだままのチョロ松に声をかける。あくまで、今通りかかりましたよー感を出した。 「なになに?転んだの?レイカでも見つけた?」 ピクリとも反応しないチョロ松の太ももを、つんつんと軽くつま先で小突く。反応はない。 つん、つん、つん、ごっ、ごっ、ごっ 段々と蹴る力を強くしていっても、チョロ松は動かない。 ――あれ?もしかして本当に動けないとか? 流石に焦って、身体を折りチョロ松の様子を伺おうとすれば、ようやく、チョロ松の腕が体を支えるように地面に立てられた。膝が折られ、ゆっくりと体を起こすチョロ松は、状態が起きても、顔を上げようとしない。 「え?何、そんなに痛いの?おい、チョロ松。」 流石に心配になり俺も膝を折って、チョロ松の顔を覗き込もうとする。すると、はぁー、と深くチョロ松が息を吐く音が聞こえ、 「ったく、なんでタイミングよくいんだよ…。」 と、転んだところを見られて恥ずかしい、っていう目で俺を睨んだ。 あ、やっぱり派手に転んだことが恥ずかしかったのか、走り出した理由はさておき、大怪我をしたとかではないみたいだ。 「ったく、何やってんだよ~、チョロ松じゃなくてコケ松かよー。」 いつもの様にそう弄ってやれば、 「誰がコケ松だよ!」 と、チョロ松もいつも通り突っ込んだ。大丈夫、なのか?また就活とか、自意識とか…そんな面倒なことで悩んでるんだろうな。 「まあまあ、家帰ろうぜ、コケ松~。もうすぐ夕飯だしさ。あ、それともおでん食ってく?今日結構涼しいしさ、大根とかならお前も食べやすくない?」 旨いもん食って、眠れば…嫌なことだって忘れられるだろう。首を傾げ、チョロ松を見つめ返事を促す。すると、チョロ松は、眉間の皺を無くし、困り眉を一層下げて、 「ったく。自分の分は自分で払えよ?」 と、笑った。あ、この顔好きだなぁ。俺の事なんだかんだ受け入れてくれて、それでいてそれが幸せだっていう笑顔。パンパン、と膝を叩きゆっくりとチョロ松が立ち上がる。手を貸そうと僅かに腕を動かしたけれど、チョロ松は自分の足で立ち上がった。この調子なら、大丈夫かな?まあ、愚痴ぐらいは聞いてやるかぁ。それに、ちょうどパチンコ勝ったとこだし、ぱーっと寿司でも食いに連れて行ってやってもいいな。 とりあえず歩き出す俺達。何が食いたいか聞こうと、口を開こうと俺がチョロ松の方を向くと、するりと俺の腕をチョロ松の腕が絡めとり、くいっと引かれる。僅かにチョロ松側に俺の重心が傾いた 「おそ松…、おでん食ったらさ、ホテル行こ?」 キスされるかと勘違いする距離に顔を近づけられて、耳元でベッドの上でするような色の声で囁かれた。 「ふぅーん。」 抱かれて全部忘れたいとかそういう事?正直、苛立ちとかを忘れるために、抱かれたいって思う奴を抱いてやる程俺は優しくない。それってディルドーと何が違うの?チョロ松。けど、俺に抱かれたら、幸せになれるからって意味で言ってるんだら、慰めてやりたいし、助けてやりたいと思う。こいつは、今どういう気持ちなんだろうなぁ。じっとチョロ松の瞳を見つめれば、チョロ松は、俺に挿入を強請るときのような瞳で微笑む。 「お前から誘うって珍しくね?何?なんかあった?」 そう俺が尋ねれば、チョロ松は、ふっと俺から体を離し、肩をすくめた。 「別に?ちょっと体調が戻ったから、おでん食べて…っていいなって思っただけ。久々だろ?」 そう笑うチョロ松の瞳には、その瞳の奥には、なんだか悲しみや寂しさの色が見えた。それを見せられちゃ、俺は弱い。助けてやりたいと思っちゃうよな。それを俺が埋められるなら、それを俺に埋めてほしいというなら…それに応えてやりたい、と思うのは惚れた弱みってやつだろう。 「ふぅーん。ま、いいや。今日パチンコ勝っちゃったし!」 多分、こいつが望んでいるであろう、何も知らずに、美味しい話に乗っかるバカな俺を演じ笑う。鼻の下を人差し指で擦りながら、チョロ松の肩に手を置く。その手で噛むように首筋を捉えうなじから襟足までを指でなぞってやる。びくっ、とチョロ松野体が震え、ひっ、と、さっきまでの作られた色香ではない、体の奥から生理的に本能的に漏れ出る声に、俺の本能が沸き立つ音が聞こえる。 「よぉーし、おでんは今度!このままホテル直行します!」 そう宣言し、チョロ松の腕を引く。これだけ人がいれば、俺達が手を取り合っていても誰も気にしないだろう。俺は別に気にしないけれど、こいつには言い訳を与えてやらなきゃ。そうじゃなきゃ、まだ同じ側にいない俺たちは、川の向こう側とこちら側で向かい合った状態の俺たちは、手を繋ぐことさえ出来ないんだ。あっ、なんかちょっと悲しくなってきた。なあ、俺に手を引かれて、腕一本分俺の後ろを歩くお前には、俺の目に浮かんだ涙なんて見えちゃいないだろ。そんでさ、お前は俺がどんな顔してるかなんて、知りはしないんだ。知ろうともしないんだ。 ******************************************************************************************* 夏の最期を飾る花火大会は、結局雨で中止になった。折角デカパンの薬でチョロ松の夏バテが治ったってのに…。まあ、来年行けばいい話なんだけど、夏らしいことが出来ないと、せっかくあの暑さに耐えたのにな、と少し悔しくなる。食後の一服のために、ベランダに出れば、青い空がやけに高い。手すりに寄りかかり、煙草に火をつけ、大きく吸う。なんだか残念な気持ちを、言葉にしないまま吐き出せば、白い煙草の煙が一本、空に還っていく。俺のもやもやが空に溶ければ、少しは気が晴れたような気がする。そうだよな、秋だって旨いもんは沢山あるし、ちょっと恥ずかしい気はするけど、町内会の運動会に出るのもいいかもしれない。 俺の気分転換が、なかなかに上手くいっているところに、 「うわっ、煙いっ。おい風向き考えろよ。それかせめて窓閉めろ。」 と、家の中から明らかな不満の声が聞こえた。振り返らずとも、こんなこと言うのは一人だ。自分だって吸うくせに、いや、だからかもしんないけど、喫煙マナーには煩い。機嫌悪いと道に煙草ポイ捨てするくせにさ。 「あー、悪い悪い。今窓閉めるわ。暑いかもしんないけど、ちょい我慢して。」 無駄な言い合いをする気分でもないので、素直にチョロ松のいうことに従う。窓を閉めようと、部屋に近づけば、なぜかチョロ松が窓の向こうから俺に近づいて来て、一瞬、鏡を見ているかの様な感覚に陥る。鏡から飛び出した俺の像は、手すりに背を預けると、左手で風よけを作り、煙草に火を点けた。昔からつまらなそうな顔で煙草を吸うこいつは、いつもの様に顎を上げ、眉間に皺を寄せて、細く煙を吐き出した。身体の全てを出し切るように長く長く吐きだされた煙が、バラバラになって空に消える。こいつも俺と同じで、言葉に出来ないもやもやを煙草の煙と一緒に吐き出すなんて、非生産的な煙草の吸い方をする奴だ。何を考え込んでいるんだか。 「あれ?」 二本目を出そうとしたチョロ松が急に、パンパンとズボンのポケット部分やら、胸ポケットのあたりを叩き始める。 「おそ松、一本頂戴。せっかく新しいの買ったのにさ、多分落とした。」 「んあ?もったいねー。まだ残ってたんだろ?」 部屋から持ち出した灰皿に、灰を落としながらそう尋ねる。家にいるのに、俺の事をおそ松と呼ぶのはなかなかに珍しい。それに、メンソールが好きなこいつは貰い煙草の回数が多くない。そんなに吸いたい気分なんだろうか。 「はい。大事に吸えよ。」 色々気になるところはあったけど、とりあえずチョロ松の頼みを素直に聞き入れてやる。「サンキュ」と小さく礼を言ったチョロ松は、上半身を軽く折り、体を風よけにするようにして、煙草に火を点ける。そして、今度は、空を見上げ、緩慢に、細く細く、煙を吐き出した。昔見た焼却炉が思い出さられるように、いつまでも立ち昇る煙は、意志でも持ってるかってくらい存在を主張し、空に混じらない。ようやく、全ての煙を吐き出し、ぼんやりと視線を漂わせるチョロ松の足元を見る。貧乏ゆすりが出ていないから、苛々しているってわけじゃないみたいだ。あれ? 「お前、ポケットに煙草あんじゃん。」 左側のポケットに、白く丸い角が見える。煙草が折れるのが嫌だと言っていつもボックスタイプのものを買う。だから、胸ポケットに煙草を入れていることが多いんだけど…。俺が指に挟んだ煙草で、チョロ松の左足を指せば、チョロ松は一瞬首を傾げ、すぐに、ああ、と手を打った。 「これ煙草みたいだけど煙草じゃないんだよ。デカパンの発明品。」 腰のあたりにかなりゆとりのあるジーパンのポケットをあさり、チョロ松が俺に見せたのは、手のひらに収まる直方体の箱。白地に赤と緑の曲線が絡んだり離れたりしている様が描かれている。 「えー、どっからどう見ても煙草だよ?確かに見たことないパッケージだけどさ。」 チョロ松の手の動きに合わせ俺の視線も動く。どうやら貸してくれる気は全くないらしく。俺がいくら、頂戴、と手を出しても、肯定も否定もしないでいる。本当に譲れないことに関しては、交渉の場にさえ着かないというのは、こいつがよくやることだ。嘘をつくのが苦手だからこそ、嘘をつかないで済む、沈黙すれば済むところから動かない。 「発明品って、それ吸う以外にどー使うんだよ。」 こうなってはチョロ松は簡単に折れない。俺は、チョロ松の手の中のものを諦め、話を続けた。 「ああ、吸うんだって。」 「結局吸うのかよ。じゃあ、煙草じゃん。」 チョロ松は、なぜか、俺を試すような顔で俺をちらっと見ると、ベランダの手すりに両腕を置き空を見上げ、 「一生に一度しか使えない、会いたい人に会える煙草ダスー、だって。」 と似てない物まねを混ぜて、手の中の発明品とやらについて説明する。そして、俺の言葉を待つように、少し短くなった煙草に口をつけ、深く吸う。 「なんだそれ。」 ゆっくりと煙草の煙を吐き出すチョロ松の横顔に、素直な感想をぶつければ、チョロ松は、ふはっ、と一つ、ベランダの外に笑いを零した。今の何が面白かったのか俺にはさっぱりだ。ただ、手すりに置いた両腕に顔をうずめているせいで、チョロ松の表情は見えない。なぞかけかなんかなのか?笑いを堪えている様にも見えなくはないけど、夏バテのせいで少し骨ばった背中からは、そんな楽しそうな空気は感じられない。 「なあ、おそ松。お前なら…さ、いつ使う?」 俺が言葉に困っていると、チョロ松が、そう尋ね、顔をだけで俺を振り返った。息を飲むほど真剣なチョロ松の視線に、少したじろいじゃって、ぼろりと灰が靴下の上に落ちた。「あちいっ!」俺がそう叫ぶと、チョロ松は、へにゃりと困ったように笑った。 「うーん、一生に一度って言われたってなぁ、全然想像できねー。チョロ松は?」 チョロ松の表情の意味が分からず、素直に聞き返す。一瞬の沈黙、ぎゅっとチョロ松が、自分の腕を握るのが見えた。けど、俺がその意味を聞く前に、くるりと、手すりを背にし俺を見たチョロ松は、すっかりいつもと同じ表情で、 「だよね。僕も。こんなの押し付けられても困っちゃうよ。まあ、タダだったから良かったけどさ。」 と肩をすくめて見せた。 *********************************************************************************************** 随分寒さが厳しくなった。初霜の日、我慢が出来なくなった俺とカラ松は、ストーブの前で俺達を監視する十四松の視線もあり、炬燵を出すことにした。 「そういえば、チョロ松と旅行に行くそうだな。」 四つん這いで押入れの中の炬燵布団を探すカラ松が、思い出したようにそう言った。 「ああ、そーなんだよ。チョロ松に誘われれさぁ。お土産買ってくるからなー、チョロ松が。」 炬燵机を組み立てながら、押入れから突き出ているカラ松の尻にそう笑いかけると、 「ああ、楽しみにしている。干物が…うまいらしいな。」 と、土産の催促が始まった。聞いても覚えてられるわけでも、俺が買ってくるわけでもないから、 「そーいやさぁ。」 と、特に話したいことがあるわけでもないのに、無理やりカラ松の話を中断させた。 「なんだ?」 「あー、いやーさぁ、その。」 コイツじゃないけど、ノープランだったからなかなか二の句が出てこない。 「なんだよ。」 「いやー、そのさぁ、あー……。 「あ!なぁ、なんでチョロ松は、俺と旅行に行きたいなんて言い出したんだと思う?あいつの性格だとさ、父さんと母さんにあげそうじゃね?いつも苦労かけてるしーとか言ってさ。 「てか、あいつ最近ちょっと変じゃねぇ?急に皆にお土産買ってきたりとかさ…。」 別にここまで話をする必要はなかったんだけど、話を続けるために今気になってることを口に出せば、止まらなくなった。俺の話を聞いていた青いケツは、どーやらようやく炬燵布団を見つけたらしく、ごそごそと発掘体制に入っている。 「チョロ松は確かにマミー達想いだが、たまには自分へのご褒美が欲しいときもあるだろう。」 「えー。いやまあ…そうかもだけどさぁ、」 いまいち納得が出来ず、唇を尖らせる。何かに引っかかっているのか、綱引きをするみたいに、布団を引っ張っている。無理やりに出そうとする辺り、こいつも横着者だよなぁ。 「土産は分からんが…、旅行は…そうだなぁ、お前に話したいことでもあるんじゃないか?」 「へ?」 意外な答えに、力の抜けた変な声が出る。 「いや…だからな、お前にだけ話したいことがあるんじゃないか?」 「いや、でもそれさ、別に旅行先じゃなくてもよくね?家に二人だけーとか、呼び出して飲み屋でーとかさぁ。」 ようやく、炬燵布団を引き出せたカラ松が、押入れから抜け出し、俺を見る。意外と得意げな表情をしてて、こいつの自信のよりどころが分からず、首を傾げる。 「まあ、そうだが…。チョロ松の性格上、言いにくいことだから、勢いをつけたいっていうのはあるんじゃないか?案外形から入るタイプだしな。」 「…なるほど。」 流石二十年以上同じ家に住む兄弟だ。カラ松の話を聞いていたら、だんだんコイツの言う通りな気がしてきた。 「いつもの自分では無理だけど、旅先の自分なら…なんて、チョロ松が考えそうなことだと思うが?」 炬燵布団を抱え下に向かうカラ松。ん?俺ら今会話してなかった?お兄ちゃん、結構真面目な話してたと思うよ? 容赦なく刻まれる階段を打つ、カラ松の足音が、どんどん小さくなる。 「ええー。アイツ、俺には異様に強気だよな…。」 炬燵布団より遥かに重いテーブルと共に子供部屋に取り残された俺は、急に面倒になってソファーに寝そべった。 「けど、何か言いたいことがある…ってのはありそうだよな。言いたいことってなんだろ?旅行先でなんて、青春ドラマの告白シーンじゃねぇん…だから?」 自分の口から出た言葉に、脳内でスパークが起きる。あっ、なに?そういうこと?すべての事実が、一本に繋がるってこういう感覚なのかも?もしかして俺、名探偵なんじゃない? 「チョロ松…俺に告白する気なのかも…。」 うわっ、うわーーーー。自分で言ってんのに、耳が熱くなる…心臓の音がうるさくなる。 ついに覚悟を決めてくれたんじゃないだろうか。あの目に、声に浮かんだ感情を、零れてしまう程に溢れる気持ちを言葉にしてくれるんじゃないか?分水嶺を飛び越えようとしてるんじゃないか…。 居てもたっても居られず、じたじたと体全体を動かす。頭を抱えたまま、ソファーの上から転げ落ちて、そのまま床を転がる。嬉しくって、怖くって、もう本当にどうしていいか分からない。 「あーーーーっ!もう無理っ!」 大声を出してみてもまっっったく収まらない。期待しない、なんてことが出来るわけもなく、もう俺の頭の中は、チョロ松の告白シーンで一杯。パンフレットで見た写真の中で、真っ赤になったチョロ松が、何度も何度も俺に思いを告げる。時に、勢いよく、時に小さく震えた声で…。 一度そう思ってしまえば、もうこの熱海旅行が、チョロ松が告白するための一大舞台にしか思えなくなった。童貞チョロシコスキーは、きっと童貞臭い、デートプランとか色々考えてんだろうなぁ。二冊もある熱海のガイドブックがその証拠だ。 十年以上待ったかいがあった。ようやく、ようやくだ。快楽を仕込んで、身体で繋ぎ留めた歪な関係。この関係に名前が付けられないことで、アイツが何より気にする世間的に、褒められた関係じゃないってことで、あいつは随分苦しんだだろうし、苦しむ姿を見せられ続けた俺も、随分傷つけられた。そんな存在もはっきりしない誰かの声を恐れて、誰よりも近くにいる俺への気持ちを無視するなんて、酷い話だ。 まあそれでも、俺はずっと待っていた。川辺で、チョロ松がこっち側に来てくれるのを。 「よーやくかぁ。」 壁にぶつかったところで、俺は転がるのをやめ、天井を見た。枯葉が風に遊ばれてくるくると宙を舞う。窓の外は随分と寒そうだ。 「おそまーーつ、早く炬燵机を持ってきてくれ!我儘BOYがお待ちかねだ…って、うおぉい、十四松!落ち着け、危ない!窓が、窓が!」 「んー、今行くわぁ。」 もうちょっと、色々物思いにふけっていたかったけど、ドン、ドンなんて破壊音と振動が響けば、さすがにいつまでも放置はできない。俺は、にやける頬を隠しもせずに、二人が待つ居間に向かった。 ********************************************************************************************* 「病院…行ってんじゃん。」 なんとか絞り出した声は、自分で思っていたよりも遥かに低い。地を這うような声に、チョロ松が、跳ねるように俺を見て、明らかな動揺の色を浮かべた。 「は?」 否定すら出来ない程、慌ててんだろう。そりゃそうだよな、俺にバレてるなんて思ってもみなかったんだろ?旅行の時にうまく騙すことが出来たし、それ以降も何も詮索してこなかったから、俺が何も知らないと思ってたんだろ。ホント、勘弁してくれよ。見てるこっちが辛いんだよ。 「お前さ、いい加減にしろよ。なんで、なんでもそんなに独りよがりなわけ?就活アピールとかフリーハグとか、どーでもいいことは頼んでもないのに報告してくるくせにさぁ。肝心なことは何一つ話そうとしやしねぇ。」 一度口に出してしまえば、ここのとこの不安が爆発したように、次々と口からチョロ松を責める言葉が飛び出す。勢い余って立ち上がっちゃったけど、それでも、全然治まんない。 かといって、真っすぐチョロ松を見られるほど、俺は、強くもない。色々考えちゃった可能性が、事実となりそうな恐怖で泣きそうになる。それでも、俺が言ってやらなきゃ…。俯いたまま、拳を握って唇を噛む。感情のままに思いの丈をぶつけたいけど、コイツの話も聞いてやらなきゃ。 「…関係ないだろう。」 チョロ松の、ある種の告白を待っていた俺に投げつけられたのは、たった一言の拒絶の言葉。怒りを振り切った最早衝撃ともいうべき感情に、カッ、と目の前が真っ赤になる感覚に襲われた。 「うっ…。」 気が付けば、俺は座っているチョロ松の胸倉を掴み、ギリギリと締めあげていた。息が苦しいんだろう、チョロ松が立膝を付く。額が付きそうな距離で、チョロ松を睨み付ける。なあ、なんで何も言わないんだよ。言わないことって、優しさでも何でもないからな?お前に何が起きてるんだよ。せめて、俺を恋人にしてくれないなら、身体だけの関係なら、余計好都合じゃん。お前が辛い時くらい都合よく使ってくれよ。じゃなきゃ、俺、何のために…。 「離せよ。ほっとけ。」 チョロ松がそう口にした瞬間、言葉が終わるよりも早く、俺はチョロ松に頭突きをくらわしていた。 ゴッ と鈍い音がして、チョロ松は、立膝の状態のまま、ふすまの方へ倒れこんだ。その様子を立ったまま眺める俺は、ようやくじんじんと痛みだした額が気にならないくらい、沸騰しそうな程に、キレていた。 ふらつく足でチョロ松がゆらりと他立ち上がる。その目は、俺と同じようにブチ切れて、怒りに狂った色に染まっていた。 「いってぇな!何すんだ!クソ野郎!!!」 鋭い右ストレートが俺に向かって飛んでくる。けど、こう来んのは分かってたんだよ!左手で拳をいなし、右手で腹を狙う。もらった、そう思った瞬間、目の前に緑色の座布団が現れ、目的を見失う。は?座布団何処から?俺がひるんだ瞬間、チョロ松の蹴りが、綺麗に俺の腹に入り、俺はちゃぶ台の上まで吹っ飛ぶ。くそ、足元の座布団で目くらましかよ。やってくれるんんなぁ。 「っっでぇぇぇ!てめえ、チョロ松…やりやがったな!」 「先に手出したのはお前だろうが!」 完全に臨戦態勢。俺とチョロ松は、向かい合ってファイティングポーズをとる。 「ちょっと、止めなよ!!」 トド松の制止なんかが俺らを止められるはずもなく、俺とチョロ松が同時に攻撃に出た。俺の左フックを寸でのところでかわすチョロ松。その足で、チョロ松は、俺のの軸足を払い、態勢を崩す。くそっ、相変わらず足癖が悪ぃなぁ。 「やべっ…」 体のバランスを崩しふらつく俺に、チョロ松がとびかかってきた。 ガタン 背中からふすまに突っ込む。見てないけど多分破いたな。けど、何壊したとか気にしてる場合じゃねぇ!俺の前に立つチョロ松の手が、俺の襟元を掴む。さっきと逆の態勢に、俺は、チョロ松を睨み付けた。ここまでやっても、何一つ言わないってなんだよ。叫び出したい、お前何考えてんだよ、俺ってそんなに信頼ねぇのかよ。お前を支えてやることも、助けようとすることも、させてくんねぇの? 「ふん、ビールとぐうたら生活で鈍ったなおそ松……あれ?」 俺の頭突きですっかりブチ切れてるチョロ松が、不意に首を傾げた。チョロ松の手が、靴下が赤い斑点で汚れる。ぼたっぼたっ、と零れ続ける血液に、俺もチョロ松もぽかんと間抜け面を晒した。 「え?なんで今鼻血?俺顔殴ってないよね?…トド松、ティッシュとって。お前喧嘩して興奮して鼻血って…赤ん坊じゃねえんだから。」 予想外の出来事に、毒気を抜かれた俺は、チョロ松の様子を見てやろうと、数歩チョロ松に近づいた。 瞬間、 ゴプッ 聞いたことないような音がやけに静かな部屋に響いた。目の前のチョロ松の身体が、その音と共に戦慄く。反射的に口元にあてがわれたチョロ松の手が、どんどん赤黒く染まっていく。ぼた、ぼた、現実を見せつけるかの様に、俺たちの日常が終わっていく。 「えっ…?」 チョロ松自身の、疑問の声が蹴られた時よりも俺に痛みを与えた。ぐにゃり、体の芯を無くしたように、前に崩れ落ちるチョロ松の体をなんとか抱きかかえる。あぶねぇ…顔面から床に突っ込むとこだった。腕の中のチョロ松の顔を見れば、虚ろな瞳がうろうろと視線を彷徨わせている。 「チョロ松、チョロ松!!しっかりしろ!チョロ松!!」 そう名前を呼べば、一瞬チョロ松と目が合った。「え?」と言ったチョロ松の不思議そうな顔が頭から離れない。チョロ松は、ごふっ、とまた一つ苦しそうな咳をし、血の塊を吐き出した。もう手で口を覆う力もないみたいで、赤黒いそれが、俺のパーカーを汚した。きゅうっと体を抱きすくめてやれば、なぜか、なぜか、チョロ松は、俺を見て悲しそうに、それでいてどこか幸せそうに微笑んだ。 「チョロ松、チョロ松!」 かくん、 糸が切れた人形の様に、チョロ松の身体が力を失い、一気にその重さを増す。きゅうっとその体を抱きしめれば、とくんとくんと、自分の心音と同じペースで時を刻むチョロ松の音が聞こえた。 **************************************************************************************************** がらんと広い斎場に、俺とチョロ松の二人だけ。特に何を言うでもなく、俺はチョロ松の顔をじっと眺めていた。もう何を言っても届かない。答えは返って来ない。 ――だから、お前に持って行って貰いたいもの、棺に何入れてやろうか、考えたんだよ。べただけどさ、受け取ってね。 手元に用意していた赤い薔薇を一本持って、棺の前で胡坐をかく。 「なあ、チョロ松ぅ。知ってた?薔薇の花って、色と本数で意味が違うんだって。 「赤い薔薇、一本の意味は、「お前だけ」だよ。俺の最初も、最後も全部あげちゃう。全部持ってっていいよ。全部、全部…お前のだ。」 赤い薔薇をチョロ松に持たせてやる。胸元に咲いた深紅の薔薇は、まるでこいつの心臓のようだった。 「はは、いってぇな、俺。カラ松かよ…なんて言われそうだけどさ。一応、片足着いて…ってのは止めてみた。」 ケラケラと俺の笑い声だけが虚しく響く。 「あーあ。会いたいよ、チョロ松。」 幽霊になったチョロ松から返事が…なんてことあるわけもなく、やっぱり答えは返って来なかった。 チョロ松との二人だけの時間は、静かにある意味穏やかに過ぎて行った。ずっとこのままでも幸せなのかもしれない、なんて思うくらいには、最後のデートの時間は短すぎた。 窓から、黄金色の光が漏れ入る。こいつと迎える最後の朝だ。いつも通り、もうすぐ兄弟にもどらなきゃならない。誰かがここにやって来たら、それが俺達が兄弟に戻る合図だ。 棺の中の白い花が、朝日で金色に染まる。黄金の中で眠るこいつは、今までで一番清らかに見えた。 陶器みたいになっちゃった顔に触れる。すぐ顔を真っ赤にしてたのに、随分とポーカーフェースが上手くなったね、なんて皮肉で自分を痛めつけながら、白く冷たい唇に口づけする。 階下が騒がしくなってきた。まばらだけど人の声も聞こえる。 ―― ああ、いよいよか。 別れの言葉なんて言いたくなくて、それでも、何か言ってやりたくて、 「おやすみ。」 とだけ、声をかけ、頭を撫でてやった。 「ん?」 チョロ松の髪を整えてやっていると、指の端に何か硬いものが当たった。チョロ松の頭の下に何かがある。寝心地が悪いだろうとおもって、取り出せば、それは見覚えのある煙草だった。 「確か…デカパンの発明品の…。会いたい人に会える魔法の煙草…だっけ?」 自分の言葉に、埋葬したはずの希望が、墓石を除けて這い出てくる感覚を覚え、ぞわりと背筋が粟だった。 「これがあれば、もう一度チョロ松に会える?」 鼓動が早鐘の様に激しく刻まれる。警鐘かそれとも祝いの鐘の音か分からない。誰がどうしてこんなものをここに入れたのか、そんなことは一切気にならなかった。 一生に一度しか使えない?それでも、もう会えないよりはずっといい。 「もう一回だけでも、会いたいよ。チョロ松。」 迷いなんて微塵もなかった。手に取った煙草の箱をポケットにねじ込み、そして、素知らぬ顔で兄弟達の到着を待った。 ポケットに仕舞い込んだ希望のおかげで、俺は、長男としての役割を全う出来た。力なく倒れ込んだ母さんを支え、母さんの代わりに弔問客への挨拶なんかもしてみせた。 告別式が終わり、火葬場へ向かう。棺は常に、俺達五人で運んだ。チョロ松はあんなに細かったのに、棺は五人がかりでも重たく感じる。だけど、その重さが、チョロ松の存在を証明するもののようで、心地よかった。 六人で並んで歩く最後の道。火葬場まで、チョロ松を運んでやる。 「うっ、ふうっ、ぐすっ、チョロ、松…兄さん。」 最初に泣き出したのはトド松だった。それに呼応するように十四松、一松、カラ松までもがぼろぼろと涙を流し始める。 「チョロ松兄さん。」 「チョロ松…。」 「これで最後か。」 こいつらの言葉に、ポケットに突っ込んだ箱の存在を再度意識した。すると、 「ほら…お前らがあんまり泣くと、チョロ松が心配するからさぁ。心配性のお節介松を安心させてやれよ。」 なんて長男らしいことが言える。全員、俺が気丈に振舞っているのだから自分も、とでも思ったんだろう、 「そうだね。」 「わかった!」 「確かに。」 「そうだな。」 と、顔をべちゃべちゃにしながら笑ってみせた。 チョロ松の棺に火が点く。精進落としなんて食べる気も起きず、俺はずっと火葬場から天に伸びる煙を眺めていた。ある程度の高さまで昇り、空に溶けていくチョロ松。 昔、チョロ松と上って怒られた木に寄りかかれば、その様子がよく見えた。流石に涙が出てきて、すんすんと鼻を啜れば、もうそこにハンカチを貸してくれる奴がいないことを思い知った。 胸ポケットから自分の煙草を取り出す。煙草に火を点ければ、チョロ松が逝くように、煙草の煙も天に昇り空に溶けていく。 ―― 俺の想いとか言葉とかが、煙草の煙になって、チョロ松に届いたらいいのになぁ。 なんて、チョロ松が聞いたら気持ち悪がりそうだ。柄じゃねぇな。 青い空が眩しくて、眩しくて、一筋だけ涙が流れ落ちた。